2013年1月23日水曜日

象はやって来るか

 埼玉県の教員が100名以上1月いっぱいで退職する意向を示していることがニュースになっている。  2月1日以降の退職者について退職金を大幅に減額すると決められたことがその背景にあるのは明らかで、現場は混乱を極めているらしい。  僕は、この話を聞いて宮沢賢治先生の「オツベルと象」を思い出した。  やり手の地主のオツベルにうまく言いくるめられた温和しい象が、さんざんこき使われた挙げ句、衰弱してしまう。仲間の象がそれを知って森から大挙して襲来しオツベルの家や工場を壊して救い出す。オツベルもその時に命を落とすという話だ。  教育の現場は、日教組をナショナルセンターとする教員組合と右翼的な教育にノスタルジーを抱く一部勢力が長い間不毛な対立を続けてきた。それぞれに言い分はあるだろうが、もはやそれは本質論からはずれ、メンツや形式的な対立に矮小化されてしまっているように見える。長年そのような現場を見てきた感じるのは、対立が先鋭化するあまり、肝心の子どもへの教育を真剣に論議する場が失われている事実があることだ。  そして、真綿で首を絞めるように教育現場への不当な介入や支配がだんだんと強められてきた。並行して給与面での待遇が劣化の一途をたどった。大多数の現場の教員は、それでも目の前にいる子どもたちのために我慢しつつ懸命に職務に取り組んできた。  教育と医療は素人が安易に口を挟むことの多い分野だから、教育のありかたや教員の待遇を巡っても床屋の待合の与太話のようなヤッカミを含む批判や中傷がまかり通ってきた。  もちろん問題のある教員も少なからずいるのは現実だが、大多数の教員は真面目に職務を遂行してきたと思う。過酷な毎日の仕事の中身を真剣に受け止める人は多くない。その結果、自殺者や精神疾患を持つ者が異常に増え、現場の疲弊はますます進んできた。  今回の埼玉県での問題は、このような背景をもって生じたことのような気がする。重い責任を負わされ、追い詰められ、こき使われても黙って耐えてきた教師たちの心の中で象が動き始めたのだろうか。  はたして、教師たちの心の森から仲間の象が救出にやって来るのだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿