2013年1月25日金曜日

吹雪の夜の物語

 その学校はオホーツク海のほとりの小さな小中併置校だった。校長は一見豪放磊落で、思い込んだら誰も止められない勢いのある人だったが実際には細やかな心配りをする繊細な神経も持ち合わせていた。  そんな学校に新任教員として僕は12月に赴任した。その数日後、すさまじい吹雪に見舞われた。除雪体制が現在ほど整っていなかったからか、その頃の吹雪が今よりも激しかったのか、とにかく道路には一晩で家一軒分くらいの吹きだまりがたくさんできる有様だった。  お昼少し前だったと思う。全教員が職員室に集められ緊急会議を開いた。そこで授業打ち切り、保護者に連絡して児童生徒を即座に下校させることが決まった。  だが、問題が一つ残った。小学生は、全員の家が学校から歩いて帰ることのできる範囲にある。上級生が誘導したり保護者が迎えに来たりして円滑に下校可能だった。しかし、中学生の中には、そこから15kmほど山に入った地域から通っている生徒たちがいた。 基本的には彼らも保護者が迎えに来れば良いのだが、吹雪はますます激しさを増すという情報がもたらされていた。また、彼らのほとんどは農家の子どもたちで、道路から住宅までの取り付け道路が埋まっていてクルマを道路に出すのは難しいという連絡も入ってきた。  それを知った校長の決断は早かった。  「よし。送っていくべ」と。  校長自身、屈強な体育教師、そして一番若いという理由で僕の三人がそれぞれのクルマを出すことになった。それぞれのクルマに3~4人の中学生を乗せ、三台は一列になって山へ向かう。クルマのボンネットの高さほどの吹きだまりが所々にできている。先頭の校長のクルマは果敢にそれに体当たりし雪煙を立てて突き進んでいく。彼の性格のものだな、などと思いながら僕も必死で後をついていった。  しかし、吹きだまりがだんだん大型で厚みのあるものになっていき、とうとう集落の手前3~4kmという辺りで、校長のクルマが動けなくなった。スコップを出し必死で雪を掘る。男子生徒を全員降ろし、クルマを押させてやっと一つの吹きだまりを越える。次のクルマがやっぱりスタックする。同じように全員で前に進める。強風で吹き付けられる雪で顔が痛い。生徒も先生たちも融けた雪と汗で身体はビショビショになっている。こんなことを繰り返しながら100m単位でカタツムリのように前進した。 この時、必死で雪を掘りながらこれが教育の現場なんだという思いが胸に焼き付いた。  北海道のオホーツク海の斜辺で、三人の教師と十数人の中学生が汗と雪にまみれ、何が何でも前に進もうとしていることなど、東京や札幌の空調の効いたビルで机に向かっているだけの役人には想像することができないだろうなと思った。そしてつくづく「こちら側」に身を置いた自分は幸せだと感じた。  やがて生徒のお父さんの一人が、大きなフロントローダの着いた四輪駆動のトラクターで現れ、三台のクルマを集落の中心まで先導してくれた。さらに学校までの帰路にも先導してもらったので、無事に帰り着くことができた。  縁あって道東地方で長く暮らしてきた今となっては、さほどのこともない、ありふれた出来事ではあるのだが、道南出身の僕にとっては強烈な吹雪初体験だった。そして、教育という営みの本質に触れることができたような気がする貴重な経験でもあった。  今日のような吹雪の晩、決まって思い出すエピソードである。 

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