2013年1月26日土曜日

シマフクロウをめぐって羅臼町で開かれた歴史的なシンポジウム

 今日、羅臼町で小さなシンポジウムが開かれた。「私たちの町のシマフクロウ」と題されたこのシンポジウムは、全体で2時間ほど、参加者も70~80人程度だったが、歴史的な集まりとなったと言える。  人は、動物のことになると妙にムキになるものである。ある一つの種類の動物を長い間世話し続けたり、観察・研究してきたり、あるいは写真を撮るために追い続けたりすると、その種への思い入れが強まって、「コイツのことはオレが一番知っている」というような心理になっていく傾向があるようだ。顔つきや仕草まで似てくると言う。  シマフクロウをめぐっても同様のことが言える。  シマフクロウが北海道内には140羽ほどしか生息していない希少種だ。日本の野生動物では絶滅危惧種の最右翼と言っていいだろう。  そうなると天然記念物として文化財保護法などでの保護も受けるし、環境省では保護増殖事業に力を入れている。その繁殖場所はいまだに公にできない。大袈裟に言えば国家機密のような扱いを受けている。  そのシマフクロウへの思い入れが強くなりすぎるといろいろと厄介な問題が起きる。  隠されると人はそれを見たがるものだ。あまつさえ写真を撮ることだけに命をかける「自然写真愛好家」の執念はすごい。  環境省という国の機関に隠されていると、その希少性はますます高まる。しかし、相手は野生動物だ。法律で言う所この「無主物」なのだ。  「シマフクロウが見られる」ことを売り物にするホテルなどが現れるのも当然だろう。悪く言えばシマフクロウが客寄せに利用されるというわけだ。  当然「客寄せ」に利用している「観光派」と保護増殖や研究活動に取り組んでいる「保護派」との間に深い溝が生じる。  実際、両者の間には、長い間深い溝があり、「挨拶もしない」とか「口もきかない」などという実態があった。 人は動物がらみの問題では妙に意固地になるのだ。  羅臼町内にも小さい規模ながらシマフクロウが見られる宿がある。そのことがクチコミで広がり、来訪者は増える一方だった。 今日のシンポジウムが歴史的だと述べたのは、その宿の経営者も、保護増殖活動に取り組む人々もパネリストとして参加していたからだ。  さらに観光協会や郷土資料館など様々な立場の人が一堂に会してシマフクロウのことを語り合った。  知床半島は、北海道内に生息するシマフクロウの半数が生息している。僕の職場の同僚などは繁殖期になると、毎晩鳴き声がうるさくてちょっと困るなどと贅沢な苦情を言っていた。  そんな羅臼町にとって、シマフクロウとどう向き合うべきなのか。保護増殖活動を保証し、良好な生息環境を維持拡大しつつバードウォッチャーや正しい写真家に観察の場を提供していくにはどうしたらいいかを話し合うシンポジウムであった。  もちろん問題はそれほど簡単ではない。だから、今日のシンポジウムは、結論を求めることを目的としていなかった。  ただ、画期的だったのはこれまで背を向け合っていた「保護派」と「観光派」が同じテーブルに就いたという点だ。シマフクロウ保全の歴史は羅臼から始まると言って良いかも知れない。 そんな現場に立ち会えたことはたいへん幸せなことだった。  もう一つ、両方の立場の人と日頃から良い人間関係を築き、このシンポジウムの開催へ漕ぎ着けた羅臼の自然保護官Mさんの人柄と努力を惜しみなく称えたい。

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