2013年2月1日金曜日

複雑系としての流氷  流氷百話 28/100

「 流氷は、知床半島から国後島付近に散在し、国後島に接岸しています。また、流氷の  一部が根室海峡南部に流入しています。   これから1日にかけて、流氷の動きに大きな変化はありませんが、2日は北東へ進む  見込みです。」  これが今日、第一管区海上保安本部から発表された流氷情報と今後の予想だ。  何度も書いたが今年は流氷に厚みが感じられない。「国後島付近に散在」と書かれているが羅臼からは見えていない。過去の記録を調べると流氷の量は大きく変動するようだ。非常にたくさんの流氷が来た年もあったし、まったく来ない年もあったようだ。  ただ、1970年頃からの記録を見ると全体として減少する傾向を見せているという。  流氷も一種の気象現象だから温度、気圧、湿度、風や海流によって影響を受ける。つまり冷厳な物理法則に支配されている。ただし関係する要素が多くあり過ぎて単純に解析することはできない。複雑系なのだ。  人は複雑系に直面してもそれを単純に考えようとする傾向があるみたいだ。天候の予想では「雨」か「晴れ」かをわかりたいのだ。地震はいつどこで起きるのかを知りたくなるし、火山噴火は的確に予知したい。確かにそれが人情だから気持ちはわかる。  単純化を望むあまり主観を先行させ、どこかで論理を飛躍させてしまうこともある。そして、無意識にまたま意識的に、都合よい結論を導き出す誤りも冒す。  意識的な事例は原子力発電を推進したかった原発利益共同体、いわゆる原子力ムラでたくさん見られた。これらは誤りというより曲学阿世であって、犯罪と言っていいだろう。  流氷は大量に押し寄せたり、まったく来なかったり、大きく変動してきた。その震幅はこれから続いていくことだろう。自然という複雑系が人間に示してくれる一種の予測不可能性の教材のように思える。 そして、予測不可能性に飽くことなく挑戦するのも人間の知の技だろう。複雑系が読み解けないからと言って読み解く作業を投げ出してしまったら知の成長は無い。  科学は間違いなく人間を不幸にするものを生みだしてきた側面もある。だが少なからぬ恩恵を与えて来た側面も否定できまい。  科学の依って立つところは、自然から出題される問にいかに答えるかということではないだろうか。そんな自然を読み解く科学を僕は信頼したい。 来たり来なかったり、西かと思えば東に動く流氷を眺めて、そんなことを考えている。

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