2013年3月14日木曜日

愚行を繰り返す人々の愚考

 今になって放射線の危険性がどれほどのものか、が激しく論じられるようになっている。ちょっとおかしい。 現実に放射性物質は広範囲に飛散したし、海水や地下水を汚染した。そして魚介類の体内に取り込まれ蓄積し食物連鎖による濃縮も起きている。森林に降下し土壌に吸着されイノシシの体内で高い値が記録されている。  これが危険か危険でないかという論点で議論する時、これらの放射性物質が原因でどんなことが起きているかが問題になるが、今度はその因果関係について評価が分かれる。  こんなふうに議論を延々と引き延ばしているのは、「放射線被曝による害を小さく見せたい側」の人々だ。これは断言していいと思う。水俣病などの公害病の時も同様だったがある有害物質に起因する被害を立証しようとすれば、最初はかならず疫学的な方法になる。つまり起きている事象から原因を推し量る方法だ。  僕は、それで十分証明になると思うが、屁理屈をこねる「反対派」は、必ず因果関係の立証を求める。それ自体が議論のための議論で、加害者の責任逃れでしかないのだが。  現実に原発が爆発して放射性物質が飛散し、今も汚染された水を生み出し続けている。そして人が簡単には立ち入れないほど放射線の強い地域が生まれてしまった。放射性物質で食物も汚染されている。  これだけの事実で十分ではないのか。自然界に無かったはずの放射性物質がこれだけ身のまわりにまき散らされているのだ。現実的な害があろうと無かろうと(残念ながらあるだろうが)それに不安を感じさせられている人たちがいるという事実だけで、原子力発電を推進した政府、電力会社、財界、そしてそれらと癒着した一部研究者や技術者は、重大な責任がある。  だから、この場に及んで「被害は限定的」とか「心配によるストレス」とか「過剰な反応」などと言うことは許されない。許されないことを堂々と主張する者がいる。あまつさえ国会で国民が中継を見ている中で、英雄気取りで見得を切ってみせる愚か者さえいる。  そして、そんな輩の跋扈をほくそ笑みながら見つめている者もいる。なにより、この国の雰囲気が、今、それを許容している。  怖いことだし、恥ずべきことだし、どうしようもなく困ったことだ。

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