2013年3月19日火曜日

不都合を隠蔽する文化

 先週のESD研修会で教育大学釧路校の先生から聞いた話だが、キンギョ以外の動物は絶対に学校では飼わないというある校長先生がいたのだそうだ。小学校の校長先生で、その理由は、動物が死んだところを子どもたちに見せるべきではないという保護者からの強い要望があるから、ということだった。  この話は、僕が直接聞いたことではなく、人を介して聞いたことだからその事実関係の細部のことはわからないが、現代の小学校の実情を考え合わせれば「死んだ動物を見せたくない」という発想が一部の教師や保護者から出てきても不思議はないと思った。  不快な部分、汚れた部分、きつい匂いのするもの、醜いものを水面下に隠蔽し、見てくれの良い快適で都合の良い所だけを見えるようにする、または見るようにする傾向は、もうすでにずいぶん前から指摘されている。  ホルモン、ミノ、カルビ、サガリなどの焼き肉を食べながらテレビで放映される野生動物の姿や仕草を「ワー!かわいい」などと言いつつ楽しんでいる。もちろんそれはかまわない。  だが、その時、心の片隅で、自分が食べている肉を命と引き替えに提供してくれた動物のことを少しは考えてもらいたい。そこ介在する人々、つまり家畜を飼育し、屠畜し、解体し、部位をごとに切り分け、食べやすい大きさに切りそろえる仕事をした人々のことも少しは考えてほしいものだ。  そのことへ思い至れば、家畜を飼育してる農家へ行って「クサイ」とか「きたない」などという言葉は出ないはずだ。  同様に動物の死から生命の尊厳を感じ取り、「生きている」ということについて正面から受け止められるようになるのではないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿