2013年3月20日水曜日

悲しきキハ54

 札幌からの帰路だ。  札幌を14時20分に出発する特急に乗り、釧路発18時31分の花咲線根室行き普通列車に乗り換える。その車内でこれを書いている。  今日の車両はキハ54 522だ。国鉄が分割民営化される直前に四国や北海道など「赤字」が予想されるローカル線向けに建造したディーゼルカーで、「新造」と言ってもそれまで使っていた車両の部品を再利用している。  なかなか優れた車両だと思うが、そんな先入観があるためか、どうしても地味に感じる車両だ。言わば分割民営化に際して、解体されることの決まった国鉄が形見分けのように地方線区に遺してくれた形式なのだ。  たとえば、今、僕が座っているシートだが、背もたれにはテーブルやポケットが付いている。しかもリクライニングシートだ。誰が見ても地方ローカル線のワンマンカーに使われるシートではない。  このシートは使わなくなった特急用キハ183系ディーゼルカーから乗せ替えたものだ。地方ローカル線の不便なダイヤで走る車両に不似合いなこのシート。豪華であるだけにかえって物悲しい。    儲かる路線にはカネをかける。地方路線は赤字を生み出すばかりだから、特急のお古で我慢しなさい。カネを稼ぐ線区は優遇するが赤字の線区の住民が辛く惨めな思いをするのは当然だ。貧乏な地方は報われなくて良い。特急のお下がりのシートを使わせてもらえるだけありがたいと思え、と言わんばかりだ。まさしく新自由主義の象徴だ。  ごく少数でも人が暮らしている場所には駅があり、駅舎の灯りの下には駅員が勤務している。そこにやって来る汽車にのれば、レールが繋がっている場所ならどこへでも行ける。採算よりも人や物が通う生活の基盤として鉄道が、かつてはこの国にもあった。  そんな国鉄を一部の政治家とマスコミ、それらに欺された国民がこぞって袋だたきにして分割民営化を進めた歴史がある。金儲け最優先の論理だけがその後も一人歩きし、分割民営化後も多くの地方線区を廃してきた。その勢いはまだ止まない。  いま、また道南の江差線が廃線になろうとしている。

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