2013年3月28日木曜日

「フクシマを忘れない」なんて言うならこの現実をどう受け止める?

 東北電力は今日、福島県浪江町と南相馬市に新設予定だった浪江・小高原子力発電所の建設計画を撤回すると発表した。(東京新聞から)  この場所は東京電力福島第一原発から20kmも離れていない。事故後は警戒区域となっていることもあるが、地元の理解を得られないというのがその主な理由だろう。だれが考えても、これほどの大事故を起こし、その収まりもついていないのに、新たな原子力発電所をすぐそばに建てることに賛成する人はいないだろう。まあ、まともな判断だが結論が出るまでに2年以上も費やされたことが理解できない。  そして、何より理解できないのは、身近で原発事故が起きた福島では原発を建てられないが、「身近ではない」青森県大澗町とか山口県上関町などには、平気で建設できるという神経である。日本では、昔から、こういう態度を「盗人たけだけしい」と言うと思う。  計画を撤回したということは、事故の危険性がある事故が起きたら壊滅的な結果を招く、ということを認めたことになる。それほど危険なものならどこであっても作ることはできないはずだ。  また、それぞれの立地の住民で原発に理解を示している人々にも疑問を感じる。福島の人々が「もう、まっぴらだ」と感じている経験をなぜおもんばからないのか。札束で目を曇らされたのでない限り、ごく普通に考えれば、地元でこれほど忌避され、ついに計画を撤回せざるえなくなったものをわざわざ引き受ける気持ちにはなれないだろう。当事者の苦しみを共感する想像力が無いのだろう。愚かなことではないか。  まさか、「福島だけを被曝させておけない。みんな一緒に放射能を浴びよう」ということではないだろう。  昔、故立川談志が「日本は法治国家なんかじゃない。情治国家だ。」と言っていたが、 あまりの愚かしさに言葉もない。

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